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伊万里・松浦編 6 |
「そこは行けないよ~~」と声を掛けて頂いた奥様方に今福神社への道を教えて頂けました。
松浦鉄道の踏切を渡って進みます。
程なく、右側の神社入口→の看板が見えてきました。
汗で額がわずかながら濡れて行くのを感じながら石段を登っていくと、、、境内にたどり着き本殿が見えます。
今福神社本殿です。何かしらの力を感じる本殿です。
それによると 応徳元年(1084)滋賀県多賀の大明神の分霊を勧請し、松浦党々祖久公が ぎぎが浜上陸後、今福神社において年を越されましたので歳の宮と言われました。 その折、村人たちが梶の葉の上に3個の餅を乗せて、久公の前に捧げました。 それで梶の葉の家紋を使用するようになったと伝わっています。 とあります。
ぎぎが浜とは、今福神社からみると北北東に約1.5km先にある海岸で美しいポイントです。 実は日本最西端となる鳴き砂の浜だそうです。
まつうら観光物産協会のホームページによると、、、 延久元年(1069)嵯峨天皇第18代の皇子、河原左大臣源融第八世の孫源久が、御厨検校となり、検非遣使に任命され、今福のぎぎが浜に上陸しました。 松浦党の党祖・源久公がこの浜に上陸したときに、輿「こし」のきしむ音が砂に伝わって「ギイギイ」と鳴ったことからこの名がつきました。 とあります。
そう、一般的には松浦党の祖とされているのは、源久みなもとのひさしとされています。 そうです、松浦党の歴史が始まったのが、この今福の地だったのです!
境内をウロウロしていると北側に本来の表参道らしき道が。 ひょっとしたら行けるかな?と思って行ってみると、、フェンスが行く手を阻んでいました。 奥様方の注意喚起は本当でした(*´з`) フェンスから下を覗き込むと松浦鉄道の線路が見えます。 昔は橋があったんでしょうね~こりゃ、渡れません。
境内に戻っているとディーゼルエンジンの音が聞こえてきました。 足を延ばして望むと今福駅が見えました。
今福神社をあとにして、駐車場に向かいましょう。 当然、松浦鉄道の踏切を渡るワケなんですが、、、ん? ある文字が私の目を釘付けにするのです。その文字は、、人柱。 この場所って人柱っていうの(;''∀'')
調べてみると、約300年前の江戸時代。ここは海が入り込んだ干潟だったそうで、その干潟を埋め立てして新田開発を始めました。 堤防を築き埋め立て工事をしますが、何度も堤防が崩壊して工事がはかどりません。 領主の松浦信貞の家臣で工事監督の田代近松は住民を集め、海の神様を慰めるために誰か人柱となってくれぬか、、と相談をするが誰も申し出る者はいませんでした。 困り果てた近松は「お互いに着けている袴に横ぶせをあてている者があればこの犠牲者と定めよう。」と提案しました。 住民も従い皆の袴を調べたところ、横ぶせをあてたものは近松だけだったのです。 田代近松は生きたまま堤防に埋められ人柱となったのです。 その後、工事は近松の犠牲によって新田開発は完成したそうです。
色々な歴史が残っているんですね。
今回で伊万里・松浦編は終了です。 さて、また松浦には来ねばなるまい。
[今福神社] 住所 長崎県松浦市今福町東免68 地図
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伊万里・松浦編 5 |
さてさて、淀姫神社を訪問しましたが、それより遡る事約6時間。 私は日田から車を飛ばし、伊万里市に到着しました。
で、松浦鉄道のMR伊万里駅をブラリと。何故かといいますとMR伊万里駅には伊万里観光協会が入ってまして、伊万里市の情報収集にもってこいなんです。
伊万里市にはMR(松浦鉄道)とJR(九州旅客鉄道)の伊万里駅がそれぞれあるのです。国鉄・JR時代の松浦線から昭和63年(1988)に第三セクター松浦鉄道・西九州線に転換された後も、接続しているJR筑肥線との相互乗入列車も存在していました。 しかしながら、自動車時代の波に鉄路は飲み込まれます。平成14年(2002)、伊万里駅付近の再開発により、新駅舎が完成。 線路を道路が切断する形となった為に、線路は分断され駅舎も松浦鉄道とJRの2つとなったのです。
MR伊万里駅を出て、伊万里駅を分断する佐賀県道240号伊万里停車場線に出ます。 すると、目の前に伊万里駅前バス停があります。 正面に見えるのがJR伊万里駅です。
すると、1台のバスがやって来ました。松浦駅前行きの西肥バスです。 行き先表示を見て、目に留まった地名がありました。 それは今福でした。 何か調べたから目に留まったのではありません。何故か頭に残ったのです、今福の文字が。
伊万里から松浦に向かっている時に、今福の場所がおおよそ把握できたので、帰りに時間があれば立寄ってみようと決めていました。
国道204号線唐津街道を松浦市中心部から東へ伊万里方面へ向かいます。今福交差点を直進して長崎県道146号上志佐今福停車場線に入ります。今福駅は右、の看板があるところを指示通りに右折すると、正面に今福駅が見えてきます。 で、今福駅へと繋がる道の傍に立っている街路灯には今福は松浦党発祥の地と書かれた看板が。 へぇ~そうだったのかぁ~
今福駅舎に近づいて来ました。今福の読みはいまふくではなくいまぶくなんですね~ 駅舎の右には今福ふるさと道しるべと書かれた道路マップがありました。
ホームにも何やら看板があるようなので、ホームに行ってみる事に。 ホームに立っている駅名標には今より福の生ずる処とあります。
駅名標の右に松浦鉄道が作成したであろう今福駅周辺案内MAPがありました。 ふむふむ、今福駅から歩いて3分位、距離にして272mのところにある今福神社に行ってみる事にしましょう。
長崎県道146号上志佐今福停車場線を松浦方面に少し戻ると川を越える橋があります。渡り切って直ぐに左へ鋭角に切り込んで曲がります。
直ぐに今福神社の参道が分かりました。車を道路横の駐車スペースに停めて石段を登ろうかと思ったところ、三角コーンでバリケードが作られているような。 そして左側には気になる看板が。 跨線橋が老朽化しており、現在通行ができません。当分の間、裏の参道をご利用下さい。 ん?行けないの?とりあえず、行けるかどうか確かめてみよ、、石段を進むか・・・と思っていたところに背後からオバチャンが「そこは行けないよ~~」と大声が聞こえてきました! え~~マジで(;´・ω・) 神社には行けないの? 裏の参道とか知らないし・・・
[今福駅] 住所 長崎県松浦市今福町東免 地図
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