こちらは北部九州にある盆地「日田」です 2016年10月
fc2ブログ
こちらは北部九州にある盆地「日田」です
生まれ育った大分県日田市んコツを書いていこうと思おチョリます。素人が書きヨリますから、間違ごうちょるカン知れんですm(__)m
プロフィール

日田んもん

Author:日田んもん
はじめまして。
日田以外に暮したコツがネェ日田んもんです。
一応、妻と娘が2人、それに孫が1人おる給与所得者です。



最新記事



カレンダー

09 | 2016/10 | 11
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -



カテゴリ



最新コメント



最新トラックバック



月別アーカイブ



天気予報


-天気予報コム- -FC2-



カウンター



大分県日田市



検索フォーム



RSSリンクの表示



リンク

このブログをリンクに追加する



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



QRコード

QR



メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:



おすすめ



小ヶ瀬水路 15 城内川との合流点
今回はもちろん、長生園前からの続きです。

欄干にある橋の名称  欄干にある川の名称

チョットした上り坂を克服して橋に近づき、欄干を見ると城内川濠梁橋とあります。そう、この濠梁橋の下を流れるのは城内川です。

城内川の流れ

濠梁橋の中央で城内川の下流を見てみます。小ヶ瀬水路の流れを考えると、城内川と合流すると思うのですが、、

川に沿って下流へ

濠梁橋を渡ってスグの角を左へ曲がり、城内川に沿って下流へ歩きます。川の両岸は護岸工事がされていて、川の流れは緩やか。

上流側を振り返る

上流を振り返ると、私が立っている地点より橋が高い場所に造られているのが分ります。土地をかさ上げして橋を架けたのいつでしょうか?チョット気になるところなんですよね~。

水門が

歩きだして程なく、水門が目の前に。もしや、もしやの期待が。

合流点みっけ

水門の先に行くと、ありました、ありました!合流点のようです。写真の左が城内川、右が小ヶ瀬水路です。
玖珠川から導かれた水は日田盆地の中央を東から西へ流れ、水利の悪い日田の田畑を潤しました。水路が出来てどう変わったか、の話は又の機会に。それまでに頑張って勉強しときます。
ところで、この城内川。元をたどれば、花月川の慈眼山下から引かれた用水路なのです。造られた年代は私が所有している資料には載っていませんが、江戸時代で小ヶ瀬水路が開発されるより前なのは明らかです。花月川から分かれた城内川、筑後川(玖珠川)から分かれた小ヶ瀬水路。双方の本流は日田市内の友田(浄化センター付近)で合流しますが、その随分と手前の豆田で城内川と小ヶ瀬水路は合流しちゃうんですね。
人の手で出会いと、別れが意図的に発生しているのです(笑)

今でも

ふと、川を見ると川沿いにお住いの方がヒシャクで川の水を汲んでいました。お庭に水撒きをするのでしょう。
小ヶ瀬水路に水が流れ出して190年以上。現代でも地域住民にとって重要な生活用水である事に変わりはありません。
小ヶ瀬水路の完成が待ちどうしかった時代から考えると現代人の食生活はどの様に映るでしょうか。米の需要は減り、田は減らされました。その影響で小ヶ瀬水路の様な灌漑用水は、水が余って仕方ないそうです。かつて、水路が潤していた田畑は住宅地に変貌しています。少しでも、米一粒でも収穫を上げ、農民の生活を助けようとした小ヶ瀬水路。現代では目的を変えて、日田を支えています。近年重要視されているのは防災、防火の水源として。やっぱり、日田にとって必要不可欠である事に違いはありません。

逃走

ところで、ここでの撮影を終えて帰っているところ、正面にいる学校帰りの小学生の集団が私の方に向けて「ハロォ~~」と声を出してます。お!オテの後ろに外人さんがいるの?金髪?美人??振り返ってみると、誰もいません。ん~~?もしや、私を外人と見間違えた??私は手ぶりで「僕のこと?」とすると「そうそう」と首を縦に振ります。
「おっちゃんは日田んもんだよ!」とオラブと子供たちは恥ずかしそうに走って行きました。何か楽しいひと時でした。

[小ヶ瀬水路と城内川との合流点]
地図




スポンサーサイト



空気が違う! 鞍形尾神社
前に紹介した行宮跡をあとにして、登ってきた道を先に進んでみます。

駐車スペースがある  大きな石灯篭

行宮跡から100M位進んだでしょうか?駐車スペースが見えてきて、左には巨大な石灯篭が立っています。ここかな、と思い軽トラを左の駐車スペースに停めて降りました。

石段  八幡宮と書かれた鳥居

奥に進むと左手にありました、石段と鳥居です。鳥居には八幡宮と彫られた額が揚げられています。ここが鞍形尾神社くらがたおじんじゃで間違えないでしょう!やった!!
それでは、上って行きましょう。

石灯篭には文化9年  天明3年の鳥居

鳥居を潜ると石灯篭があって、ふと見てみると文化9年の文字が。現代はいいですね~スマホで、その場で調べられますから。調べてみると文化9年って1813年!なんと今から203年も前の代物!!
じゃ鳥居はって見てみると天明3年。調べると1783年!今から233年前!!スゲェ~~!!!
良く壊れないで建ってるなぁ~~

天然記念物の表示  石段  

そうそう、この鞍形尾神社の自然林は高さ20メートルにも及ぶウラジロガシをはじめ人間の手が入っていない古の植生が守られています。昭和56年(1981)に県指定の天然記念物に指定されています。
それでは、石段を登っていきます。結構な段数があります。段数を数える気にもなりません。

赤い屋根が

木立の隙間から赤い屋根が迫ってきました。

此方には寛政5年  本殿が見えてきた

石段左に見える石塔の年号を確かめると、寛政5年とあります。西暦だと1793年となりますから今から223年前!この年は徳川家慶が江戸幕府12代将軍となっていまして、大政奉還まで74年という江戸時代後期となります。

阿形の狛犬  吽形の狛犬

石段を登りきると狛犬がお出迎え。少し瘦せ型のようで、私のお腹廻りをお分けしたい気分に。

着いた!!

ついに鞍形尾神社に到着です。これはなかなかの雰囲気です。空気が違う感じ!赤いトタン屋根の旨の部分には菊の紋が見えます。毎回のように書いてますが、こんな山中によくぞ建てた!

本殿の右  案内看板

境内の右側に案内看板が見えます。それによると

由緒
豊西記によれば元慶元年九月朔日(西877)此の地(岩松ヶ峯)に八幡御示現せり
神白馬によって昇天し、玉鞍松下にあり依って岩松改め鞍形尾と号せりと
又造領記には弘仁二年郡司鬼蔵大夫、宇佐八幡を請して来り、岩松が峯に勧請し奉ると記されている。
祭典 二月十九日、二十日にして古来村民の信仰厚し
天然記念物
鞍形尾神社の森 暖帯自然林の形態を保ち林中に自然石(玉鞍石)を保存している。


とあります。
前回に出た部分が多いので、大半を略しまして造領記~から調べていきましょう。
造領記とは、江戸時代末期の日田の歴史学者・森春樹が記した本です。日田の歴史を調べる上で重要な資料の一つです。私は読んだ事がありませんが^^;
弘仁2年(811)に鬼蔵大夫(大蔵永弘)が宇佐八幡宮より岩松ヶ峯に八幡神をお迎えしお祀りした、との事。
説明文には郡司とありますが、「日田市史」の年表によると鬼蔵大夫永弘が郡司職に任ぜられたのは仁寿元年(851)とあります。
弘仁2年(811)当時の郡司職は天平9年(737)に任命されたと記されている日下部氏であろうと思われます。

本殿の左側  境内の右手前

本殿の左には石祠が見えます。石祠の上部には天満宮の文字がありました。拝殿を背にして石段を見ると左手には建物が。これって社務所なんでしょうか、神楽殿なんでしょうか?
ちなみに鞍形尾神社でお祀りしている神様は譽田別天皇、速須佐之男神、宇迦之御魂神、猿田日古神、大宮能賣神、菅原神(「天瀬町誌」より)だそうで。
譽田別(ほむたわけ)天皇は応神天皇(おうじんてんのう)のこと。速須佐之男神はスサノオノミコトで日本神話に登場する神様で一度は聞いたことがある超有名。宇迦之御魂神はウカノミタマノカミで穀物の神で女神。猿田日古神はサルタヒコノカミで日本神話に登場する神様、庚申信仰や道祖神として今でも街角で見られますね。大宮能賣神はオオミヤノメで宮殿の平安を守る女神。菅原神はもちろん菅原道真で学問の神様で天神様。

さて、戻りますか

ウロウロしてたら母から帰宅命令の電話が、、、便利が良すぎるのも問題ですね~(^^; 帰ることに。
説明文にある「自然石(玉鞍石)を保存」が気になるんですが…

いつの日か必ずこのブログで紹介すであろう義民・穴井六郎衛門は延享3年(1746)12月27日、この鞍形尾神社でお参りしたその日に浄面寺川原で最後を迎えました。

鳥居の先には・・・  道らしき跡が

鳥居まで降りて行くと真正面に人が歩けそうな道があるじゃないですか。昔の人々はこの道を歩いてお参りに来たのでしょうか。

更に遠くには発電所?

ちょっと、歩いて下界を見ると遠くに女子畑発電所の一部が見えました。玖珠川(筑後川)を挟んだ女子畑がこんな近くに見えるとは驚き!

鞍形尾神社
[住所] 大分県日田市天瀬町馬原500
[地図]




小ヶ瀬水路 14 長生園前
春日神社前  春日神社の賽銭箱

今回はもちろん前回のお話の続きでして、ココ春日神社からです。賽銭箱には春日町と書かれています。昔は中城町付近を春日町と呼んでいたのですね。

今回のスタート地点  道の右側に穴

春日神社境内横を流れる小ヶ瀬水路。道の下へ隠れますが、流れているであろう道へと進みましょう。

長生園はこちら  穴の下が水路

その予想される道の入り口には長生園の看板が。あ~そういえば長生園への道だったなぁ~。道を歩くと普通の道には無い塩ビ管で造られた穴が並んでます。

ちょっとした緑地  長生園

目線を上げると右手にチョットした緑地があります。ここが長生園です。

淡窓先生墓所  長生園の看板

長生園とは、廣瀬淡窓が生前に選んだ墓地です。淡窓が亡くなったが安政3年(1856)11月1日で75歳でした。廣瀬家に伝わる林外日記によると、淡窓が亡くなる約半年前の5月25日に長生園の文字が記されています。
その後の6月2日に長生園が完成したようです。

奥に広瀬家のお墓が

長生園の奥には淡窓をはじめ、廣瀬家の墓碑が並んでいます。詳しくは又の機会に。

やっとグレーチング  川らしきものが

長生園を左に出て西へと進むと、グレーチングがありました。覗き込むと確かに大量の水が流れています。小ヶ瀬水路で間違いなさそうです。さらに西へと進むと交差点になりました。交差するのは御幸通りです。そして、正面に水の流れが見えます。右上の写真で、右に少しずれた水の流れにむかって道路のアスファルトの色が違うのがわかりますか?この色違いの右側が小ヶ瀬水路を表しています。

戻ると長生園、右が豆田町  やっと小ヶ瀬井路が地上に


突き当りにはアッチが豆田町、コッチが長生園の案内看板が立っています。その右側に水路がありました。久しぶりに太陽の光を浴びる小ヶ瀬水路です。水路の両側に住宅が立ち並んでいるので、このままでは進めません。

右の豆田方面  IMG_22771.jpg

右に行くと橋を渡って川沿いを行けたな、、、とりあえず右に行ってみましょう。豆田方面へ進むと橋がありました!

この小ヶ瀬水路は文政8年(1825)に通水しています。長生園が造られたのが、その約30年後の安政3年(1856)。
廣瀬家の墓地である長生園。淡窓は小ヶ瀬水路を見守ることが出来る場所を選んで造ったのでしょうね。

今回はここまで!!

娯楽の殿堂に偽りなし おた基地
日田のド田舎に面白くって美味しいお店が出来たってんで、そういう世界が好きな会社の後輩をエサにして行ってみる事にしました。

店舗  店舗入り口右の表示の一部

店を遠目から見た感じじゃ普通のお店ですね。ただ、お店の名前がおた基地?なんじゃこの名前は…なんの基地なんですか?店の扉を開けると銃撃を受けるとかないでしょうね。それにおたって、、、平仮名だと気づきにくいですがカタカナにすると、、、何となくわかりますねww

店舗入ると  店舗入り口のピカチュウと制服

ドアに手をかけガラス越しに店内を覗くと、、なんか私が入るにはあまりにも世界が違う感じが。一呼吸おいてドアを開けると目の高さにピカチュウが!電撃喰らうかと( ;∀;)
そして店内を見渡すとフィギュアやらナンヤラ一杯だ!

綾波レイ  カウンター席背部

カウンターに座ると綾波がお迎え、クルッと後ろを見るとこれまた棚にフィギュアが!
なんか、脈拍が上がっていくような…

カウンターから左  店舗入り口壁面

深呼吸して、マスターのおススメを注文しました。落ち着いたので店内をグルグル見渡します。

このイベントを主催  カウンター背部のミカサ

マスターとお話してると、左上の進撃の巨人のコスプレイベントを主催した方なのだそうです!いやいや、凄いお方なのですね~('◇')ゞ

カウンターの右上  右側カウンターから店内奥

店内は私たちの2人のみ。席を移動して写真を撮りましょう。なんかハマってきている自分がいるような( ゚Д゚)

右側カウンター上  右側カウンターの、、1

座ったカウンター席から右側へ移動して良く見るとナカナカ良い景色が広がって!

右側カウンターの、、2  右側カウンターの、、3

イヤイヤ( *´艸`)

来た!ナポリタン!

そうこうしてると、来ました来ました!ナポリタンです!正式にはアンツィオ直伝!鉄板ナポリタン800円です。

半熟たまご~  ナポリタン越しのマスター

とにかく量がハンパない多さ!味はトマトの酸味が効いて美味しいんです。半熟タマゴが絡まってたまりません。粉チーズはかけ放題。チーズ好きには嬉しいですねぇ~

カウンターから右  カウンターの左端上

食べながらも目はウロウロ、キョロキョロ。そしてマスターのマシンガントークが炸裂されるのです。

これらのフィギュア達ですが、店のオープンにあわせてスタッフと手分けして安いのを買い漁ったそうです。そのうちにスタッフやお客さんが好きなフィギュアやグッズを置いていくようになったとか。もちろん、マスターの所有物も。写真ではわかりにくいですが、ゲーム機が2台設置され自由にプレーできるとの事。それに巨大液晶スクリーンも完備で好きな動画も流し放題。

右側カウンターの、、4  右側カウンターの、、5

このお店にはマスターの熱い思いも詰まっているのです。俗にオタクと括られてしまう若者はナカナカ街に出ない。というより、日田には行きたくなるスポットがない。引き籠りにならずに、少しでも外に飛び出してほしい、仲間が他にもいることを知ってほしい、そこで、楽しく遊んで、お腹も満足でき、友達ができるスポットを提供したい。さびれていく日田の町を少しでも活性化したい、との思いを形にしたのがコノおた基地なのです。

やっと食べ終えた  カウンター背部の初音ミク

死ぬ気でヤット完食。後輩は半分位残ったので、お持ち帰り。
横で後輩がボソリ「かかってる曲はボクが好きなのばっかり」だとさ。オジサンは全くわからないのでした。

スタッフの方に聞いてみると、普通に仕事に就いているそうで、ほとんど趣味でお店に入っているのだそうで。スタッフもお客さんも楽しめるお店なんですね~

カウンター正面上の長門

艦コレの長門にまた来いよ!って言われた感じで、お店を後にしたのです。
そうそう、マスターは以前に紹介した椿亭の大将なのです。そりゃ~美味しいはずだわ(*'ω'*)
今度はビフテキを食べなきゃね~

娯楽の殿堂 おた基地
[住所] .大分県日田市中本町7-20
[電話] 0973-24-5055
[営業時間] 20:00~
[定休日] 不定休
[駐車場] あり
お店の情報はTwitterから https://twitter.com/otakichi_0702
[地図]